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ここでは、フィリピンの歴史と文化について紹介します。
【フィリピンの歴史と文化】
フィリピンで最も古い人類とされているのは、2万2000年前の旧石器時代の人々。当時のフィリピン諸島はアジアと陸続きでした。その後水面が上昇し、アジア大陸から分離したフィリピン諸島に、数回にわたって東南アジアから人々が移り住んできました。紀元前300〜200年には、マレー人などがやってきて先住民族と溶け込み、現在のいくつかの少数民族の先祖となっています。その後14〜16世紀にもマレーから人々がわたってきました。そのためフィリピンでは数多い独自の言語が話され、文化も地域や島によってかなり異なっています。
15世紀に入って来たイスラム教はたちまち全島に広がり、16世紀に入ったころにはマニラはイスラム王国と化していました。この時代に登場するのが、有名なフェルディナンド・マゼランです。マゼランの上陸後、スペイン軍が次々と島を占領。スペイン人はイスラム教を排し、キリスト教を広めていきました。しかしその後1860年代に入り、スペイン本国に内乱が発生したことと平行してフィリピンでは知識階級による自由獲得運動が盛んになり、フィリピン革命へと進んでいきます。
1898年、米西戦争でアメリカに負けたスペインは、なんと2000万ドルでフィリピンをアメリカに売り渡し、アメリカがフィリピンを占領することになりました。アメリカは当初植民地政策をとっていましたが、フィリピンの自主統治へと移行させようと考えていたため、有能なフィリピン人の育成に力を入れました。このことはフィリピン人の自立意識を高めることになりました。ルーズベルト大統領は「フィリピン=コモンウェルス」を樹立させ、フィリピンは固有の政府と大統領を持つことになりましたが、この時の政府はまだ、アメリカの傀儡政権(かいらいせいけん:形式的には独立しているが、実質的には他国によって操られている政権)であったと言えます。
第二次世界大戦中の1941年、日本軍がフィリピンに上陸し、マニラを占領しました。1945年にはアメリカ軍がフィリピンを奪回、翌年にはフィリピン共和国が発足、自由党中心の政府ができあがりました。しかし自由党が腐敗し失政が続いたため、アメリカが国民党を後押しして改革を断行。以降、アメリカ主導型の政権が続きました。
アメリカ主導下にあったフィリピンは、国民党と自由党の2大政党による政治が行われていましたが、1965年に自由党のフェルナンド・E・マルコスが大統領になると、マルコス独裁の時代に入ります。マルコスは経済開発を最優先課題とし、外交的にも社会主義諸国と国交を結ぶなど、ある面では成功をおさめましたが、政権後半になると経済的権益を支配する傾向が顕著になりました。社会の矛盾が深まり、テロやゲリラが日常化し、内外ともにマルコスの失政を糾弾する声が高まりました。そのような中、1983年、マルコスの政敵であった、ベニグノ・アキノ元上院議員が暗殺されました。
1986年、選挙における政府の不正事実が発覚、国民の不満が爆発し、独裁者マルコスは国外追放になりました。その後も、アキノ、ラモス、エストラーダと政権が変わるたび、フィリピンでは数多くの政治ドラマが繰り広げられてきました。2001年に多くの民衆の支持を得て大統領に就任した、現アロヨ大統領は、貧困の撲滅、政治倫理の確立、治安の改善、反政府勢力との和平交渉による国民宥和政策を目指しています。さまざまな難局に勇気を持って対処するアロヨ大統領の姿勢に、現在も多くの国民の支持が集まっています。
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